イスラエル

1992年3月、大学の春休み。
中東イスラエルを約20日かけて周遊しました。

中東では前年の91年、西側諸国を巻き込んだ湾岸戦争が勃発。
戦争はすぐに終結したものの、政情不安なイメージがくすぶっていました。

私はイスラエルを、
キリストの生誕地であり、テロが危険な国という認識以外、
中東の一角にある、遠い異国の地という位置におき、
まったく馴染みのない国のままにしていました。

「海外はどこへ行っても日本人がいる」といわれます。
現地の主要都市のスーパーなどでは、日本のものが買えたりする。
異国の地でも、少なからず日本が感じられるのです。

あのとき、首都エルサレムの高い外壁に囲まれた旧市街地の、
パレスチナ人が多く住む居住区の日中も薄暗い箇所を通る狭い路地ですれ違った、
私と同年代くらいに見えた東アジア系のあの髭面の男性・・・

彼が日本人だったと断言できるなら、
私は滞在期間中たった一度の、
一人の日本人しか見かけなかったことになります。

聞くところによれば、
首都エルサレムはいま、日本レストランが多く軒を連ねていて、
日本式の寿司が現地の結婚式で供されるというくらい、
日本文化が浸透しているといいます。

イスラエルは、テロと切り離せない国、
という安直な思考を私はもっていました。

それは学校の社会科で習った、
民族間で根深い宗教対立を抱えた国とかいう、
イスラエルの歴史的背景からきているのではありませんでした。

だいぶ古い話になりますが、
当時からさかのぼること20年前、
イスラエルの第二の都市、
テルアビブ国際空港で起きた銃乱射事件が、
私の根底にありました。

当時、何も理解しえない子どもだった私に、
事件当時の記憶はまったく残っていません。

日本人過激派が関与した事件であり、世論の関心は高く、
事件後何度も、
TVの特番などで放映されたその真相を迫った記録の映像が、
私の中にたまっていたのです。

イスラエルに心が向けられたのは、
その半年前の夏休み、フランスを訪れてからのことです。