卒業後

その年の3月、私は大学を卒業しました。
募る中国留学の準備に取りかかろうと、
これから節約生活もすべく、
大田区で借りていた部屋を引き払うことにしました。

行先は決まっていました。
京王線沿いの代田橋は、
当時大学生の弟が住んでいました。

9月入学の留学に合わせて、
8月末頃日本を発つ腹づもりでいた私は弟に、
それまでのかりそめの寝泊りの場所を求めたのです。

兄といっても、長じた弟に対しては普通、
子ども時代の上下関係を持ち込まずに接するという不文律があるはず。
それを私はかなぐり捨てて半ば強引な形にもっていき、
弟に居候を認めさせてしまったのです。

その後弟には、私が中国から一時帰国した際にも、
弟が転居していた巣鴨で世話になっています。

一旦田舎の実家に戻ることもなくはありませんでしたが、
今の自分には何もないと感じるその立ち位置が中途半端なのをじくじく根にもつというのか、
当時の若いなりのプライドというものが私にはあって、
実家に戻ることをいさぎよしにはできなかったのです。

代田橋駅から京王線で新宿駅まで2駅。
新宿への距離の近さは、
私には何かと便利でした。

その頃私は薬剤師になっていましたが、
全く異なる分野のアルバイトを掛け持ちして食いつなぐつもりでいました、
と言いたいところですが、
専門的な仕事を1つしています。

母校での学生実習のサポートです。
当初声をかけられたときは、
私などがやっていいのかと思いましたが、
今となっては貴重な経験になっています。

アパレル数社共同の展示会が定期的に開催されていたのは、
新宿駅東口近くの住友ビルの階上です。
私はそこで服を売っていました。

当時のアパレル業界は、
ファストファッションやネット販売という黒船が来航する開国前の、
安逸をむさぼれる時代のただ中にまだいたんだと思います。

値段はそこそこでも、
服は飛ぶように売れましたし、
とりわけ問屋さんなどは、
素人の私でもわかるくらいの、
余剰人員と思われる中高年が多くが働いていました。
というか、働いていけた時代だったんです。

やはり東口側の紀伊國屋書店は、
私には情報の宝庫でしかありませんでした。
情報はネット、ではまだない時代で、
私はとくに、
中国近現代の政治、経済、社会問題などに関する本を購入、立ち読みして、
中国を知ろうとしました。

そして新宿には、
地球の歩き方デスクが事務所を構えていて、
留学の手続きを代行してもらうことになります。

卒業と国家試験が通るかまだわからない在学中は、
本格的な留学の準備ができなかったのですが、
あらかじめ事務所には電話だけして確認できており、
後は直接出向いて詳細を聞き、手続きを頼むだけでした。

弟の自転車を借りて新宿に行くことが多かったなあ。
商店街を出ると甲州街道。
左折してまっすぐ、笹塚を通過です。
当時の脚力と記憶がおぼろげすぎるけど、
出発してから10分もせずにだったか、
新宿駅南口の真正面です。

自転車に乗って吹かれる心地よい風。
事が始まる前の、躍動の風が吹いていました。
歯車は回り出している。
このまま進むだけでした。