借りていた部屋を引き払うことにしました──。
とその後のことを書こうとする私に、
とある風景が浮かびました。
その風景の中には、そのときの私がいます。
その私を見、部分部分でその私と一体となった私は、
一度その風景に戻って、そのときの私を書きたいと思ったのです。
書きたいことを書くことで浄化されるということを、
私は知っています。
東急目蒲線が、目黒─蒲田間を走行していました。
既に線名がなくなって久しいですが、私の通学手段でした。
目黒から蒲田方面へ2駅目の武蔵小山駅。
母校の最寄り駅です。
その通称「ムサコ」から蒲田方面へ、6駅か7駅かの「鵜の木駅」。
私が使っていた駅です。
私はこれまで、幾度となく引っ越しを繰り返してきました。
中でも、かの地「鵜の木」には、格別な思いがあります。
住んでいた部屋から徒歩で数分のところに、多摩川の土手がありました。
土手は舗装され、屋根のついた休憩所が備えられている。
一定の距離に灯る光は、人々の夜の安全を担保します。
地方出身の身だからこそ、私は思いました。
東京の財源は、なんて潤沢なんだと。
留学という海外生活を控えていた私は、
体力が何より必須の条件と考えていました。
ほぼ人がいない真夜中の土手は、格好のトレーニング場。
真夜中の時間帯は、私占有の空間でした。
毎回最低40分、休憩ははさまない。
すべての体力を使い切るように、私は走りました。
持久力が得意でない私には、かなりの運動量です。
日々走ることで持久力がついてきても、
それ以上の負荷をかけて私はまた走りました。
私は、見事な循環の一部でした。
体を酷使して、わかったのです。
吐く息、吹きだす汗、漏れる口吻、土手を蹴って走る音。
そういうもののすべてから、
見えない細かな私の一部一部が、周囲に発散、伝播していく。
天空の星や月の明かりが降り注がれるのを感じました。
川の真水や土手に生えた草のにおいを運ぶ風が吹き、
土手や川には、多種多様な生物の存在があった。
まばらな人家の明かりも、アスファルトの乾いたにおいも、
人工的ではあるけれど、すべてが含まれている。
私は、与えていながらも与えられている存在でした。
それを感じて走ることが、得も言われぬ心地よさでした。
走り終えた私は、もはやすべてが重力に逆らえません。
くたくたと参りましたというばかりに、
四肢をべったと土手に這わせて、
ひきつった顔をあげられず、息はがーがーと切るだけ切り、
乾ききった咽はへばりつきむせぶほどでした。
そんな私に1つ、ご褒美が用意されていました。
土手から川を挟んでおよそ北西の方角に、
京浜工業地帯のライトアップの夜景が望めたのです。
自然美に負けず劣らずのその人工美は、
走ったあとの疲れを癒し、
やわらかな優しさを与えてくれるのでした。
土手から臨んだイルミネーションからうっすらと垣間見えたのは、
鉛筆で描かれたようなタンクや配管、煙突の造形群。
煙は毎回出ていた。
24時間休みなく稼働していた工場たちよ。