シルクロードの旅

小学5年生か6年生の頃だった。
NHKで放映されたドキュメンタリー番組、
「シルクロードの旅」を覚えています。

若い頃船乗りだった父の晩年は、
見事なまでの好々爺に人が変わっていたけれど、
当時はまだ30代後半の海の男。
荒くれ兄ちゃんが少し大人になった風体で、
私ら兄弟への当たりは厳しかった。

一緒にいると圧を感じ、家では近づきがたい存在。
子ども頃の私は父に、自分の意見などする勇気をもちませんでした。

数か月に一度、父は海から上がると休暇に入ります。
普段不在の父がしばらく在宅することになるのです。

家に母だけがいるのとは違って、
なにより1つ、私が苦痛だったのは、
TVチャンネルの決定権が父に移ることでした。

茶の間で家族とご飯を食べながら、
アニメや歌番組、コントが見たくても、
ニュース、大河ドラマ、ドキュメンタリー、時事解説ときて、
家族の面前でぶつぶつと批評し、
私見を述べる父に付き合わなければならなかったのです。

「シルクロードの旅」は、ニュースのあとに組まれていた番組でした。
高3のときに漢方をやりたいと思い、
ならば卒業後は中国へ留学する、という道筋を描いた私でしたが、
それよりずっと以前に、初めて私に中国に興味を抱かせていたのが、
「シルクロードの旅」でした。

「シルクロードの旅」の内容は、大方忘れ去っている。
映像から流れる喜多郎の奏でるシンセサイザー音楽と、
濁流の滔滔と流れる広大無辺に見えた黄河。
ただこれだけが、鮮明に記憶されています。

画面から伝播される悠久の時の流れというものを、
私には子どもの感性でしかなかったけれど、
それをしかと感じることができました。

黄河はやはり字の如く黄色の川でした。
そしてあの濁流は、晴れているのになぜ濁流なのか。
父に尋ねたことを思い出します。