幻のチベットまだ続編

漢方をやってみたい。
本場の中国へ行ってみたい。
高3のとき、薬大の進学を決めました。

先に漢方がきた。
次に中国がきた。
そして薬大にすると決めた。
将来薬屋をしたら、漢方を扱えると。

私は実家が薬屋の後継ぎではなかったし、
周囲の近しい人に薬屋がいたわけでもありません。

昭和の風景がほの明るく照らし出されます。
田舎の商店街の一角にあった薬屋の店先。

緑のケロちゃんの置物が懐かしい。
なによりも、
ウインドーペタンと張られた「漢方」の文言です。

まだまだ世間一般に普及しているふうでもなかった、
当時の漢方のイメージは、
お年寄りが飲むもの、
あご髭をたくわえた店主、
ヘビが売られている、というのはマシなほうで、
漢方なんてまやかしに決まっている、
というひどいのもあったと記憶しています。

あるとき、漢方の悪口本を立ち読みしたことがあります。
高校の頃でした。
その内容は、
漢方に敵意のようなものを著者の専門家が抱いている、
と私に思わせるものでした。

副作用のことが強調されていました。
漢方のそもそもの間違いは、
エビデンス(根拠)がないことだ、と。

さらに、漢方を投与する側が、
同じ病名の患者らの体質に合わせるとしながら、
別々の漢方をランダムに投与することが危険なんだとし、
だから問題が起こるのも当然だろうというのです。
当時は素人の私でしたが、そのひどい内容に辟易したものです。

漢方をやりたくて薬大に入った私でしたが、
そこで初めて、そういう自分が異端であることに気づきます。

わかって欲しいからとかではなかった。
友人らと普通に会話をしていて、
自分のほうから自分のことを話そうとしなくても、
その流れの中で自然に自分の話をしてしまう場合があるでしょう。

感心されたこともありましたが、
驚かれることのほうが多かった。
そのことが私にはぜんぜん理解できなかった。

きっと私には、
自分が拒絶されたと感じるそういう態度をされることになんの免疫もなく、
だから余計、敏感になり、自分が変わり者として見られているような、
鼻白まれているような・・・、
いや、敏感になるどころか、
被害妄想が膨らむ結果になってしまったと思うのです。
もういちいち話すのはやめよう。
私は思ったのでした。

子ども頃、熱をだすかお腹をこわすかすると、
母方の祖母に煎じた薬草を飲まされた経験が大きかった。

最初は病院に連れていかれ、
普通の薬を飲まされるのですが、
なかなか体調が芳しくならない。

床に臥せながら、私は1つ、実感したことがあります。
人間が病気を治すために自然にあるものを煎じて飲むという行為。
そこの部分を切り取り、自分なりの形に整えて、深堀しながめたのです。
理屈ではない。動物としての人間の本能なんだと。

そのときの実感というものが、
私の奥に秘められていた因子にじんわりと浸透し溶け込んでいったのを、
当時の私が気づくことはなかったけれど、
それが、高3になった私に芽吹き成長していった結果、
今の私がいるんだ、というのは、間違いのない事実です。