海外志向の若者が多くいた気がします。
米国や豪州といった英語圏の語学留学が主流でしたけど、
薬大に入る前から中国の伝統医学に強く惹かれていた私は、
中国を目指していました。
リクルートスーツ姿の同輩らが、
企業説明会の帰りに、だったと思うのですが、
大学に立ち寄って、
わいわいがやがやと雑談やら情報交換などをしていました。
就職する予定のない私は、自分の進路のことしか頭になく、
空いた時間は全部アルバイトに費やしていました。
あるとき私は、スーツ姿の同輩らに、羨望の目を向けたことがあります。
Tシャツにジーンズを穿いていた私が、なんだか頼りなく思えました。
私はこれから大学を卒業して、
中国に行って何年かは学生を続けることになるわけですが、
その間はずっと無職でいることの、
なにか不安のような申し訳なさのような、
今考えると、少し恐怖心も混じっていたと思うのですが、
そういう絡み合ったマイナスな感情が、胸にじわじわと湧いてきて、
すると、たった数秒間のことでしたが、
胸にトクトクと音のしたあの感覚を、今も忘れることができません。
それからすぐ、切り替わった感じがあったのは、とても幸いでした。
私に見える同輩らの未来像というものが、
私のそれに投影されるものではないと、はっきりと確認できたのです。
それが自信の力となり、私のこれからを肯定でき、
すると私は、得も言われぬ安堵感に満たされたのです。
私はその日、第一声の行動に出ました。
新宿の紀伊国屋書店の特設コーナーに陳列された、
留学の手引き本を購入して、
具体的にどんな手続きをすれば留学できるのか、調べ始めたのです。
当時はまだ、本という紙の媒体が、情報収集の一役を担っていました。
スマホを指でさっとなぞれば、
あらゆる情報がいとも簡単な便利さと比べると、隔世の感を覚えます。
けれど専門分野の留学というのは、情報に限りがありました。
最初から、ダメな感じはったのですが、
私は、足元の母校に頼ってみることにしました。
考えたのは、私みたいな卒業生がいたかもしれないこと、
紹介してもらえるんだったら、こんなラッキーなことはありません。
大学の各教室の先生方に、尋ねてみようと思ったのです。
なんだかよくわからないのですが、
学生課の事務のおばさんとは、よく話す間柄でした。
このブログを書いていて、
ああ、そういえば、彼女にも尋ねたことそのことを、思い出しました。
先生方の反応は、大方予想していた通りのものでした。
ある先生は、まあ、よくわからないけど、がんばってね、という感じで、
振り返ると微苦笑を覚えさせる、こんな先生もいました。
薬剤師になる君が、どうして中国に?
医薬分業の時代だよ、これからの薬剤師というのはさ・・・云々。
こんなことを書いては何ですが、
私はその時点ですでに、大学のほとんどのことをあきらめていました。
入学して、西洋薬学というものが肌に合わないと感じてから、
ずいぶん時間がたっていました。