スイカは、果肉の赤色ではありませんでした。
子ども時代に過ごしたの夏の景色です。
外で自由に遊びまわってたくさん汗をかき、
帰宅するとすぐ、
冷やしてあったスイカをサクサクほおばったものです。
口中いっぱいに広がる甘くてジューシーな果汁。
渇いたのどが、すぐに潤います。
その清涼感がすーっと伝播したかと思うと、
皮膚に浴びた太陽の熱と、
さっきまで走り回って体内から産生された熱とが混合した、
それによる全身の火照りが、いっきに冷却していきます。
涼風がすぎていくような心地よさ。
何ものにも代えがい至福の時でした。
そんな子ども時代のピュアな感性を、
いま引き出しの奥から古いアルバムを取り出して、
幼少時代の自分をありありと振り返ることができるように、
そんなふうに思い起こすことができるというのは、
すごく幸せなことだと思うのです。
実は当時、スイカは好きでしたが、
臭いを不快に感じることがあったのです。
そういう嗜好の矛盾に、戸惑いを感じていました。
例えば、納豆が嫌いな人がいて、その理由を訊きます。
すると、まず臭いがダメで、だから当然、味も嫌いだよ、
というのが普通の運びですよね。
ところが私は、基本的にスイカの味は好きなのに、
スイカを見たり、食べる直前とかに、
臭いとか、きっとその感覚的なものも含めて、
それが鼻腔をついたり、
まだついていないのにつく感じになったりするだけで、
一瞬ムッときてしまっていたのです。
それからすぐ、なんでもなくなり、
美味しいという気持ちになれるのですが。
鼻腔からのど、降りたところにある胃袋のヒダには、
敷かれる感覚器が多数点在していて、
そういうのが過敏に反応していたんです。
当時は、そういう体のメカニズムが不思議でした。
一方で、ムッとなるのは、2つ理由があることがわかっていました。
夏はカブトムシを飼うのが定番で、
餌は主にスイカの皮をあげていました。
当時は、昆虫ゼリーのような便利なものはありません。
餌は他にも、自分でこしらえた砂糖水とか、
キュウリに砂糖をまぶしたものとかを与えていました。
クワガタなんかに比べたら、カブトムシの体臭は相当キツイんですよ。
さらに腐葉土に沁みた排泄物の臭いと、スイカの時間がたった臭いとの、
混沌とした臭ささが鼻腔に記憶されていたわけです。
もう1つの理由は、
あるとき夏カゼを引いて高熱を出し、
食べたスイカを吐き出してしまったことがあった。
これはこれで決定的なものになってしまったんですね。
ところで、スイカの皮「西瓜皮」には、薬効があるんですよ。
生ごみとして捨てられる皮でよいのです。
夏カゼや熱中症による体温の上昇を下げたり、
むくみをとったりするのによいとされます。
中国の四川で勉強していたとき、
現地の中医師が患者さんに、
処方した漢方薬に西瓜皮を加えて一緒に煎じて飲むようにと、
よく指示を出していましたね。
大人になったいまでもちょっとだけ、スイカの臭いが気になることがあります。
良くも悪くも、子ども頃の経験って、その後に大きく影響してしまうものなんですね。