対面の座席に座る乗客は、横一列みんなスマホをしています。
対する私といえば、
普段からスマホのゲームはやらず、
ニュースは紙の新聞で、
スマホで見ることはしないアナクロな人。
えっ? あなたはスマホをやらないのか、ですって。
あんまりやりませんね。
地下鉄ではラインをちょっとうつくらい。
乗り物の横揺れに平衡感覚が狂いやすい私は、
とくに体が横になって進む地下鉄の車内で、
スマホをやるのが大の苦手。
紙の文字を読むぶんには、ほぼ問題がないので、
地下鉄では紙の本を専ら読みます。
紙の文字は目に優しい。
読んでいて内容が頭に入りやすい。
手触りや匂いといった紙の質感には、ほのかな温かみがあって癒されます。
車内で紙の本を読む人を見かけると、なんだかほっとする気分。
最近は車内で、紙の新聞をほとんどみかけなくなりました。
座席周囲の空間が確保された特急や新幹線ならまだしも、
紙はかさばって、携帯しづらい。
私の中では、紙が敬遠されてしまうのは時代の流れなんだと、
消化された感があります。
紙の新聞には、ある思い出があります。
私は学生で、携帯はまだ普及されていなかった。
ポケベルというものが、ちょうど全盛の時代でした。
地下鉄に乗ると、真向かいの座席には、
当時の私より年長と思われるお姉さんが。
脚を組んで座っていました。
原色に近いカラフルなスーツに、
少し明るめに染めた髪を胸元まで伸ばした風貌。
柑橘系の香水の甘い香りが、ふんぷん匂っていました。
私は青い果実でした。
けれどそれよりももっと刺激的だったのは、
お姉さんが普通の新聞を読む感じの、そのつるんとした顔で、
英字新聞を開いて読んでいたこと。
拙い想像を、私は精一杯膨らませました。
日本人の顔をしたアメリカ人?
ニューヨークから一時帰国した?
子供の頃に英才教育を受けた?
いやいや、ネイティブな彼氏がいるから、とか。
それに当時は車内で、
スーツ姿のおじさん連中に交じって、
普通の新聞を開く女性すら、
ほぼ見かけない時代でしたよ。
女性が車内でそんなことをするのはカッコ悪い、
みたいな空気感はあったと思います。
そういうお姉さんの大胆なところにも、
憧れを抱いた記憶があります。
そして、私はお姉さんにこう訊ねてみたかった。
どうしたら、お姉さんのようになれるのですか、と。
心のアルバムのページをめくれば、
車内に漂う香水の残り香とともに、
あのカッコイイお姉さん姿が、
鮮やかによみがえってくるのです。