サマータイム

サマータイムの導入の是非が、議論され始めている。

記憶は定かでないが、
これまでにも何度か、同様の議論がされてきたのではなかったか。

そうした経緯もあったところに、
2年後に迫る東京五輪と今夏の異常な猛暑という事情が重なり、
議論の呼び水となったわけだ。

結論から言うと、
夏の日照時間に合わせて、時計の針を一律にずらすという、
カチコチの全体主義のようなやり方に、私は反対する。

サマータイムの導入には、
コンピュータープログラムの誤作動によって起こる、
情報システムのトラブルというリスクをともなう。

家庭用機器ならまだしも、
医療・業務用や、鉄道などのインフラ設備に影響が及べば、
社会生活に大きな混乱をもたらすだろう。

機器だけの問題ではない。
人間にだって、
四季折々の太陽の運行(日照時間)に応じて生命のリズムを調整するための、
時計機能が備わっている。

例えば、日の出の早い夏の起床時刻は、日の出の遅い冬より早くなる。
理由は単純で、外が、早く明るくなるからだ。
そうした傾向は、大人より子供のほうが、顕著かもしれない。
子どもの時計機能が、
早朝の公園でさえずる小鳥たちと同様の、ピュアなものだからだ。
いや、大人だって、日々規則正しい生活をしている方や、
自然の感性を持ち合わせている方なら、理解できる感覚だと思う。

アスリートにとって東京の夏は、過酷なものだという。
ならば、競技の開催時刻を早めればよいだけの話ではないのか。

競技の種目によっては、日の暮れるのが遅いのに合わせて、
開催時刻を遅くするものがあってもよい。

時間は、一定でなく、相対的だ。
それが、自然の理というものであり、
すべてのものは、それを無意識に受け入れ、生きている。