記憶の箱

4、5年前から、
TVの中国語講座を定期的に視聴するようにしています。

漢方相談を通して、
中国の方たちと接する機会があっても、
留学時代に習得したはずの中国語をきれいさっぱり忘れていて、
会話がしどろもどろに。

以前できていたレベルの会話ができないということが、
こんなにも強いストレスを感じさせるものかと、思い知ったのでした。

幸いにして今は、当時ほどではないものの、
会話がスムーズになった気がします。

だれもが内面には、“記憶の箱”というものを備えているはずです。
私の場合、TVから流れる中国語を通して、
箱の中の当時の記憶が呼び覚まされたのですが、
その過程において、とても興味深いものを感じることができました。

当時の記憶が呼び覚まされようとするとき、
箱のフタが根本からふくらむように、少しだけ開きます。

すると、箱の底から気体のようなものが立ち上ってきて充満し、
突然、スーッと消えたかと思うと、点がポツポツとあらわれ始める。
点はお互いに引きつけ合って線になり、
それが太く育ってくると、じわじわと色彩を帯びてくる。
色彩を帯びた線は面になろうと、縦横に拡大し映像をつくる。

帰国してから約20年過ぎましたが、
映像の中には、
これまでただの一度も思い出すことのなかった記憶というものがありました。

診察室で先生が私にかけてくれた一言。
レストランでの友人との白熱した議論。
たまたま買い物に行ったときに乗った、タクシー運転手とのたわいのない会話。
街の雑踏に紛れながら聞こえきた、見知らぬカップルの会話。
どれも懐かしく、輝く記憶ばかり。
「忘れていた」のは、「失った」ことではなかったのです。

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