ご高齢の男性が、ご相談にみえていました。
奥様に先立たれて身よりのない、そんな境遇の中でも、
余生を従容として受け入れていた方でした。
カゼを引いたときや夏バテを起こして体調を崩されたときには、
ご自宅まで何度か、薬を届けにお邪魔したこともあります。
ここ何年と、一度もおみえになっていないので、
おそらく、お隠れになってしまったのでしょう。
その方が語られた、次のことが、脳裏に深く焼き付います。
<腰の検査で、「脊柱管狭窄症」※といわれてね>
※=腰椎内部の神経の通路である脊柱管が狭くなる病気。
脚の痛みやしびれで長時間歩けなくなる、「間欠性跛行」
(かんけつせいはこう)がでるのが特徴。
<ただ、軽いほうだと思う>
<腰は痛いけど、歩けなくなるほどではないから>
<それよりも最近、息が上がってしまって>
<それで、休みたくなってしまうんだ(笑)>
当時私は、こう思ったものです。
この腰痛はおそらく、「脊柱管」の問題によるものではなく、
検査では実証不能な、加齢によるものだろうと。
「脊柱管」を含め、身体の器質的なものすべて、経年劣化していきます。
とはいっても、痛みなどの症状が必ず出るとは限りません。
例えば、重い血流障害を起こさずに済むだけの、
周囲組織も含めた全体としての、調和した機能、
これを保つことができれば、
全くの無症状でいられたり、症状が出ても軽く済んだりする例は、
日常、よく目にするものです。
不調の本質は、どこにあるのか。
これを見紛うと、どんなに安全で、確実と思われる手術をしても、
納得した結果を得ることはできません。