これらの慣用句から、何を想像するでしょうか?
「こころ」、「思い」が高じると、
頭が痛くなったり、胸がドキドキしたり、お腹を抱えて笑ったりします。
だから、私たちは無意識のうちに、
「こころ」は、からだの中から生じ、そこにとどまるもの、
と考えてしまいがちです。
ただ「こころ」は、からだの中の単なる”モノ”ではありませんよね。
例えば、「あのヒトの『こころ』、きれいだな」という表現から、
そのヒトの頭、胸、腹なんかが本当にきれいだなんて、
だれが思うでしょうか。
フランスの哲学者が後世に遺した、
「我思う、ゆえに我あり」という命題を知っていますか?
これは、
我のからだがあるとかないとか関係なく、我がいるのだ、
という意味です。
つまり、我の「思い」、「こころ」は、
”モノ”や場所とは全く関係のない概念なんですね。
ところで、「自分の『こころ』が相手に通じる」ってことがあります。
あなたは信じますか?
私は信じます。
「こころ」は、
からだという物質的な、狭い空間に縛られることなく、
もっと広~くて、自由な、異次元の世界を通して相手に伝わる作用なんだと。